飯舘村より浪江町を望む
半径20kmの避難指示が出たとき恐怖を覚えたと共に、”該当せずに良かった”という公言できないような安堵感があったことは確かだったらしい。でもまさか、時がこんなに経過してから自分たちが危険な場所に居たなんてことを知るとは思ってもいなかったと、悔しそうにつぶやいた。
一番の憤りは、文科省のモニタリングで把握されていたはずの飯舘村の放射線量が秘密にされていたこと。秘密にすることと公開しなかったことは違うという言い訳は、筋が通る話ではないと。
訪れた先のお得意様は、週明けすぐに一次避難場所へ移るそうだ。『いつかまた自宅へ住むことができたなら以前のように遊びに行くよ』と笑顔で仰っていただいたけれど、いつになるのかなんて村民の誰も分からない。
こうしてボクの仕事も収入も減っていく。これは未曾有の震災による仕方のない現象なのかな? それとも政策や東電の甘さから来る《人が起こした事故による経済損失》なのかなぁ?
写真は飯舘村南部の国道399号沿いにある展望広場から、南方の浪江町山間部を望む風景。この先には、80μSv/hというとんでもない放射線量だったことを文科省が公開せず人が他所から避難で居住し続けた浪江町赤宇木地区があります。過日NKHで放映された 「ETV特集 ~ネットワークでつくる放射能汚染地図~」のなかで暴露されたエリアです。
実は、飯舘村から浪江町に続く国道399号沿いは、いまだに誰でも通れてしまいます。今回のもう一つの用事は、この先の浪江町に行くことにありました。
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